精神病にかかりやすいタイプとは・・・
私の考える精神病にかかりやすいタイプについて記載いたします。精神病の多くは幼い頃「安心」できる場所がない、又は少ないが原因であると考えております。しかし、「安心」がなければなぜだめなのか?これまでは「自己愛」がなくなるからだと私はいってきましたが、この言葉だけでは理解しにくいと思っております。そこで、なぜ「自己愛」が必要なのか知っていただくためにも、精神病にかかりやすいタイプについて私の考えを記載します。
「自己愛」は「安心」を手に入れるための「考え方」を学ぶために必要とされているのです。言い方をかえれば、精神病の方は「安心」を手に入れるための「考え方」がわからない傾向があるといえます。以下、その考え方について例を用いて説明いたします。
Aさんは高校を卒業して、会社に入社しました。Aさんの性格は真面目でありますが怒られることを毛嫌いしていまう性格です。怒られる原因は「仕事でミスすること」ということを理解していますので、Aさんは仲間に迷惑かけないためにも、仕事のミスを一切しないように仕事を取り組みました。
一方、Bさんは高校を卒業して、Aさんと同じ会社に入社しました。Bさんの性格は真面目で怒られることは苦手なのですが、少しおっちょこちょいな性格であり、人からよく注意されます。だから、Bさんは「人に迷惑かけている」という認識を持っているので、Bさんは人に迷惑かけないようにミスを減らすことと、ミスして迷惑かけるのは会社仲間なので、周りがミスした時はフォローすることを進んで取り組みました。 ここで、皆様はどちらが精神病になりやすいタイプだと思いますか?
私の考える答えはAさんです。この文章からでも、Aさんは「自己愛」がないと言えるのではないかと私は考えています。逆にBさんは「自己愛」があると言えるのではないかと考えています。ではなぜか?
Aさんは「怒られること」を避けるために、「会社の仲間に迷惑かけないこと」を目的にしております。すなわち、Aさんは「怒られないこと」を目標にしているのです。ここで、迷惑かける主な原因は仕事で失敗することです。しかし、人は必ず失敗する生き物です。人生失敗しない人など一人もいないのです。だから、目的を達成することは絶対にできないのです。だから、Aさんはミスをすればするほど悩み、苦しみます。そして、その苦しみから逃れるために、いつのまにか目的は「怒られないこと」だったのが、いつのまにか手段の1つでしかない「仕事のミスをしないこと」に変わってしまうのです。目的が「仕事のミスをしないこと」になると、例えば仕事をミスした原因が他人にあると、その人を責めてしまいます。そもそも「怒られないこと」を目的にしたのは怒られるのが嫌だからであり、今度は自分が嫌なことを周りにしてしまうのです。すると、本来は、「怒られないこと」であったのに、目的が入れ替わったせいで、仲間がミスしたことを怒ってしまい、結果的に仲間に嫌な思いをさせてしまうのです。Aさんはミスすると仲間に怒るので、仲間からは嫌われてしまいます。なぜなら、「怒られる」はAさんだけでなく、周りの仲間も嫌だからです。Aさんは自分が「怒られない」のが嫌にもかかわらず、仲間は「怒る」行動を行うのです。Aさんの行動は、「自分が怒られるのは嫌だ」という思いから、周りが「怒られる」ようにしむけているようにしか、周りには見えないのでしょう。すなわち、Aさんは「自分に優しく、周りに厳しく」するタイプと周りから判断されるのです。しかし、Aさんは仕事をミスした人が悪いと感じているのでその性格を治そうと思いません。ここで、間違っていけないのは、Aさんが性格を治さない真の理由は「自分が怒られることが怖いから」なのです。その気持ちから逃げてしまっているからこそ、「周りを怒る(言い方をかえれば周りのせいにする)」のです。本来は同じ仕事をしているので、連帯責任があります。周りがミスしても、そのミスを事前にAさんが気づいてあげれば誰も怒られなかったのです。Aさんがきづいていないだけで、周りもAさんのミスをフォローしてくれていることもあるのです。もし、Aさんが「自分も周りも怒られないようにする」ということを目的にしていれば、Aさんは周りも「怒られるのは嫌だから怒らないで教える方法」を開発することができるでしょう。周りはそのことを理解しているので、会社の仲間からすると、「Aさんは会社の仲間に迷惑をかけている」と感じてしまうのです。Aさんの目的は「怒られないこと」だったのに、陰口ということで仲間に迷惑をかけてしまったのです。Aさんは周りの責任で「怒られない」という目的も達成できない上、周りからの信用もなくなってしまうのです。しかし、Aさんはそれがなぜなのか理解できず、どうすればよいかわからなくなり、精神病になってしまうのです。ではなぜAさんはそのように考えてしまうのでしょうか?その原因の1つが「自己愛」が不足しているからなのです。ここで「自己愛」を説明する前に、Bさんはどうなのか見てみましょう。
Bさんは「怒られること」を避けるために、「怒られる頻度を減らすこと」を目標としているのです。Bさんはおっちょこちょいでミスしやすい人間であることを自分で理解しているので、Bさんは周りに迷惑をかけることを理解しています。だから、Bさんは周りに迷惑かけないために自分のミスを減らす方法と、周りのことを考えて周りがミスしても自分がフォローするという方法を一生懸命やりました。Bさんは周りの人のミスで怒られることもありましたが、Bさんは怒られるのは嫌ですが、目的は「怒られる頻度を減らすこと」であるため、怒られた時は今後はどうするという手段をお伝えしたのです。この場合、Bさんは周りの失敗も自分のミスと認め、かつ自分のミスも自分のミスと認めたのです。Bさんは「怒られる」要因は「自分のミス」と「周りのミス」の二つあり、会社とは自分一人ではなく、周りと一緒にすることであることをきちんと理解しているため、責任は自分にもあると考えているのです。だから、Bさんは人よりもミスがあるものの、周りのフォローもするので周りからの評判もよく、仕事ができると評価されるのです。Bさんは怒られないために「自分」と「周り」に対する行動を行うため、Bさんは怒られる頻度も減りますし、Bさんの目的である「怒られる頻度を減らすこと」を実現することができ、周りからも信頼を受けるのです。
ではAさんとBさんで何が違うのか?何度もいっておりますが「自己愛」になるのです。「自己愛」とは自分で自分を守る力のことです。もう少し、詳細に説明すると、「不安」があっても「安心」できる機能なのです。子供は「安心できる場所」を求めるという機能を生まれながらもつということは以前ブログ内で説明しましたので省略します。「安心できる場所」を求めるということは同時に「不安」になる機能をもつということです。「不安」になるからこそ、その「不安」を解消することにより、「安心」を手に入れることができるからです。そして、大人になるにつれて「安心」するにはどうすればよいかを理解できるようになるため、「安心」は「不安」を解消するだけではなく、周りの「不安」も同時に消さなければ得られないことを学びはじめるのです。だから、人は「安心」を手に入れることを目的とする場合、手段として周りも考える必要があります。Bさんは「安心」できる機能を作り上げているので、「不安」はつきものであることを無意識に理解しており、「安心」を手に入れるためには「自分」と「周り」の不安を解消することをも学びます。しかし、Aさんは「安心」できる機能を作り上げていないので、子供と同じように「不安」を解消することのみ目的としてしまうのです。自己愛が形成されないと、「不安」を解消することのみ目がいくようになってしまい、たくさんの人と一緒に生きる私達にとっては「自己愛」を形成されないと「安心」を手に入れることができなくなってしまい、病気となってしまうのです。ではAさんのような性格の人はどうすればよいのか?まずは自分の考えが間違っていることを認識しましょう。これを「自己認知」といいます。「怒る」目的は「みんなが正しい方向へ向かうため」です。「怒る」ことで、人は気づき、そして成長することもあります。もし、怒られることが苦手な人は「怒られる」ことに腹をたてて、何かのせいにしてしまいます。人はこれを言い訳といいます。言い訳しても、「みんなが正しい方向へ向かう」ことはできません。重要なのは「怒られる」意味をきちんと理解し、どうするかを一緒に考えることです。
言われた人の中には「自分の気持ちをわかってくれない」と考える人がいますが、その考え方は必ず間違っています。なぜなら、相手が「怒る」理由は「相手が不満に感じたことを相手に伝える」ことにあるからです。「怒る」方も相手の気持ちがわからないから伝えるのです。相手は貴方の気落ちがわからないから「怒る」行動をおこしているのに、「自分のことをわかってくれない」と思う人は考えをきちんと伝えていないだけなのです。重要なのは「原因(言い訳)」を伝えるのではなく、「自分と相手の考えを同じ方向に向けること」なのです。「自分のことをわかってくれない」という人は「人のせいにしている」という行動をとっているともいえるのではないでしょうか?人や病気などのせいにしては、ずっと病気を治すことはできないでしょう。重要なのは「怒られる理由を解決すること」です。人のせいにしても、問題は解決しません。そのためには怒られても「相手が怒る理由を理解するということ」を忘れないでください。それが、精神病にならないための考え方でもありますし、みんなで幸せを感じる手段でもあるのではないでしょうか?
「自己愛」は「安心」を手に入れるための「考え方」を学ぶために必要とされているのです。言い方をかえれば、精神病の方は「安心」を手に入れるための「考え方」がわからない傾向があるといえます。以下、その考え方について例を用いて説明いたします。
Aさんは高校を卒業して、会社に入社しました。Aさんの性格は真面目でありますが怒られることを毛嫌いしていまう性格です。怒られる原因は「仕事でミスすること」ということを理解していますので、Aさんは仲間に迷惑かけないためにも、仕事のミスを一切しないように仕事を取り組みました。
一方、Bさんは高校を卒業して、Aさんと同じ会社に入社しました。Bさんの性格は真面目で怒られることは苦手なのですが、少しおっちょこちょいな性格であり、人からよく注意されます。だから、Bさんは「人に迷惑かけている」という認識を持っているので、Bさんは人に迷惑かけないようにミスを減らすことと、ミスして迷惑かけるのは会社仲間なので、周りがミスした時はフォローすることを進んで取り組みました。 ここで、皆様はどちらが精神病になりやすいタイプだと思いますか?
私の考える答えはAさんです。この文章からでも、Aさんは「自己愛」がないと言えるのではないかと私は考えています。逆にBさんは「自己愛」があると言えるのではないかと考えています。ではなぜか?
Aさんは「怒られること」を避けるために、「会社の仲間に迷惑かけないこと」を目的にしております。すなわち、Aさんは「怒られないこと」を目標にしているのです。ここで、迷惑かける主な原因は仕事で失敗することです。しかし、人は必ず失敗する生き物です。人生失敗しない人など一人もいないのです。だから、目的を達成することは絶対にできないのです。だから、Aさんはミスをすればするほど悩み、苦しみます。そして、その苦しみから逃れるために、いつのまにか目的は「怒られないこと」だったのが、いつのまにか手段の1つでしかない「仕事のミスをしないこと」に変わってしまうのです。目的が「仕事のミスをしないこと」になると、例えば仕事をミスした原因が他人にあると、その人を責めてしまいます。そもそも「怒られないこと」を目的にしたのは怒られるのが嫌だからであり、今度は自分が嫌なことを周りにしてしまうのです。すると、本来は、「怒られないこと」であったのに、目的が入れ替わったせいで、仲間がミスしたことを怒ってしまい、結果的に仲間に嫌な思いをさせてしまうのです。Aさんはミスすると仲間に怒るので、仲間からは嫌われてしまいます。なぜなら、「怒られる」はAさんだけでなく、周りの仲間も嫌だからです。Aさんは自分が「怒られない」のが嫌にもかかわらず、仲間は「怒る」行動を行うのです。Aさんの行動は、「自分が怒られるのは嫌だ」という思いから、周りが「怒られる」ようにしむけているようにしか、周りには見えないのでしょう。すなわち、Aさんは「自分に優しく、周りに厳しく」するタイプと周りから判断されるのです。しかし、Aさんは仕事をミスした人が悪いと感じているのでその性格を治そうと思いません。ここで、間違っていけないのは、Aさんが性格を治さない真の理由は「自分が怒られることが怖いから」なのです。その気持ちから逃げてしまっているからこそ、「周りを怒る(言い方をかえれば周りのせいにする)」のです。本来は同じ仕事をしているので、連帯責任があります。周りがミスしても、そのミスを事前にAさんが気づいてあげれば誰も怒られなかったのです。Aさんがきづいていないだけで、周りもAさんのミスをフォローしてくれていることもあるのです。もし、Aさんが「自分も周りも怒られないようにする」ということを目的にしていれば、Aさんは周りも「怒られるのは嫌だから怒らないで教える方法」を開発することができるでしょう。周りはそのことを理解しているので、会社の仲間からすると、「Aさんは会社の仲間に迷惑をかけている」と感じてしまうのです。Aさんの目的は「怒られないこと」だったのに、陰口ということで仲間に迷惑をかけてしまったのです。Aさんは周りの責任で「怒られない」という目的も達成できない上、周りからの信用もなくなってしまうのです。しかし、Aさんはそれがなぜなのか理解できず、どうすればよいかわからなくなり、精神病になってしまうのです。ではなぜAさんはそのように考えてしまうのでしょうか?その原因の1つが「自己愛」が不足しているからなのです。ここで「自己愛」を説明する前に、Bさんはどうなのか見てみましょう。
Bさんは「怒られること」を避けるために、「怒られる頻度を減らすこと」を目標としているのです。Bさんはおっちょこちょいでミスしやすい人間であることを自分で理解しているので、Bさんは周りに迷惑をかけることを理解しています。だから、Bさんは周りに迷惑かけないために自分のミスを減らす方法と、周りのことを考えて周りがミスしても自分がフォローするという方法を一生懸命やりました。Bさんは周りの人のミスで怒られることもありましたが、Bさんは怒られるのは嫌ですが、目的は「怒られる頻度を減らすこと」であるため、怒られた時は今後はどうするという手段をお伝えしたのです。この場合、Bさんは周りの失敗も自分のミスと認め、かつ自分のミスも自分のミスと認めたのです。Bさんは「怒られる」要因は「自分のミス」と「周りのミス」の二つあり、会社とは自分一人ではなく、周りと一緒にすることであることをきちんと理解しているため、責任は自分にもあると考えているのです。だから、Bさんは人よりもミスがあるものの、周りのフォローもするので周りからの評判もよく、仕事ができると評価されるのです。Bさんは怒られないために「自分」と「周り」に対する行動を行うため、Bさんは怒られる頻度も減りますし、Bさんの目的である「怒られる頻度を減らすこと」を実現することができ、周りからも信頼を受けるのです。
ではAさんとBさんで何が違うのか?何度もいっておりますが「自己愛」になるのです。「自己愛」とは自分で自分を守る力のことです。もう少し、詳細に説明すると、「不安」があっても「安心」できる機能なのです。子供は「安心できる場所」を求めるという機能を生まれながらもつということは以前ブログ内で説明しましたので省略します。「安心できる場所」を求めるということは同時に「不安」になる機能をもつということです。「不安」になるからこそ、その「不安」を解消することにより、「安心」を手に入れることができるからです。そして、大人になるにつれて「安心」するにはどうすればよいかを理解できるようになるため、「安心」は「不安」を解消するだけではなく、周りの「不安」も同時に消さなければ得られないことを学びはじめるのです。だから、人は「安心」を手に入れることを目的とする場合、手段として周りも考える必要があります。Bさんは「安心」できる機能を作り上げているので、「不安」はつきものであることを無意識に理解しており、「安心」を手に入れるためには「自分」と「周り」の不安を解消することをも学びます。しかし、Aさんは「安心」できる機能を作り上げていないので、子供と同じように「不安」を解消することのみ目的としてしまうのです。自己愛が形成されないと、「不安」を解消することのみ目がいくようになってしまい、たくさんの人と一緒に生きる私達にとっては「自己愛」を形成されないと「安心」を手に入れることができなくなってしまい、病気となってしまうのです。ではAさんのような性格の人はどうすればよいのか?まずは自分の考えが間違っていることを認識しましょう。これを「自己認知」といいます。「怒る」目的は「みんなが正しい方向へ向かうため」です。「怒る」ことで、人は気づき、そして成長することもあります。もし、怒られることが苦手な人は「怒られる」ことに腹をたてて、何かのせいにしてしまいます。人はこれを言い訳といいます。言い訳しても、「みんなが正しい方向へ向かう」ことはできません。重要なのは「怒られる」意味をきちんと理解し、どうするかを一緒に考えることです。
言われた人の中には「自分の気持ちをわかってくれない」と考える人がいますが、その考え方は必ず間違っています。なぜなら、相手が「怒る」理由は「相手が不満に感じたことを相手に伝える」ことにあるからです。「怒る」方も相手の気持ちがわからないから伝えるのです。相手は貴方の気落ちがわからないから「怒る」行動をおこしているのに、「自分のことをわかってくれない」と思う人は考えをきちんと伝えていないだけなのです。重要なのは「原因(言い訳)」を伝えるのではなく、「自分と相手の考えを同じ方向に向けること」なのです。「自分のことをわかってくれない」という人は「人のせいにしている」という行動をとっているともいえるのではないでしょうか?人や病気などのせいにしては、ずっと病気を治すことはできないでしょう。重要なのは「怒られる理由を解決すること」です。人のせいにしても、問題は解決しません。そのためには怒られても「相手が怒る理由を理解するということ」を忘れないでください。それが、精神病にならないための考え方でもありますし、みんなで幸せを感じる手段でもあるのではないでしょうか?
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