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感情と行動の関係性、そして幸せを感じるために

 今回は「感情」と「行動」の関係性についてお話いたします。
「感情」をネガティブとポジティブに分けてまず考えます。

ポジティブ:喜び、感動
ネガティブ:悲しみ、不安、怒り、恐怖

 ポジティブは「自分の願望が叶った強さ」によって、感情は変わります。
願望の弱い場合は「喜び」です。
願望の大きい場合は「感動」です。
 私の体験談ではありますが、「喜び」は「自分の力だけで作る」ことができるものの、「感動」は「自分の力だけでは作れない」のです。
 人は「感動」を知ることにより「自分も頑張りたい」と思えるのだと私は思います。

 一方、ネガティブは「自分の願望が叶えたい弱さ」によって、感情は変わります。
 願望が強すぎる場合は「恐怖」です。
 願望が強い場合は「怒り」です。
 願望が弱い場合は「不安」です。
 願望が弱すぎる場合は「悲しみ(絶望)」です。

 人はネガティブになれるから、ポジティブになれます。
しかし、人は願望が強すぎると「恐怖」を感じます。
 言い換えれば、「恐怖」を乗り越えてこそ「感動」できるのです。
 子供は必ず一度は親のことを嫌いになります。その理由は「恐怖(むかつく、イライラするは恐怖を知る素)」を感じるからです。
 「恐怖を感じる」からこそ、「1人で生きたい」と思えるようになります。
 しかし、これは「精神的自立(自分一人で生きる)」ではありません。「社会的な自立の始まり(現実を受け入れる)」です。
 ここでいう「1人暮らししたい」というのは「精神的自立」ではなく、「自分のことを自分でできるようになる」という本当の意味での自立の始まりなのです。
 そして、「恐怖」を感じる親に「感謝」を感じるようになった時、「感動」が生まれます。
 ここでいう「感動」とは「愛情の深さ」です。もちろん、「愛される」よりも「愛する」方が「楽」です。
 その理由は「愛すること」は「自由である(自分で選択できる)」からです。
 「愛する」という行動は「自分がやりたいこと」です。相手を愛する必要もないですし、相手を愛してもいいのです。
 ここでいいたいことは「逃げ道があるから自由を感じることができる」ということです。
 「愛される」は「自分ではなく相手が与えてくれること(自分を大切にしてもらうこと)」であり、「自分の自由を制限する」という他ならないのです。
 「それでもいい」と思えるようになることにより、初めて「頑張らなくていい」と思えるのではないでしょうか?
 「恐怖」とは「自分の行動を制限する」以外何ものでもないのです。
 「愛される」とは「自分の恐怖感と向き合うために必要なこと」です。
 「愛される」からこそ「恐怖を感じる」ことができ、恐怖とむきあうからこそ「恐怖に対する対応方法」を考えることができ、「恐怖を乗り越える」からこそ「恐怖ではなかったんだ」と知ることができ、そして「恐怖の正体をふりかえる」ことで「恐怖は本当に怖いものではない、自分の妄想である」ということに気づくことができるのではないでしょうか?
 すべては「やってみる」以外ないのです。
 そして、「恐怖」も含めて自分の感情を認めることができた時、自分の感情をすべてコントロールできるからこそ、「自分を好きになれる」のではないかと私は考えています。
 「愛される」ことが「幸せ」と思えないからこそ、人は「愛しあう」ことを望むのではないでしょうか?
 「幸せ」とは「自分の人生そのもの」だと私は思います。ずっと、人は最初から「幸せ」の中で生きています。
 ただ、「幸せを感じる」のは別の話です。「幸せになりたい」という思いは「幸せを感じたい」ということだと私は思います。
 しかし、それは「恐怖を感じることができないと感じることはできない」と私は思っています。
 親から暴行うけようが、親から捨てられようが、貴方様はかわいそうな人間ではありません。
 みんなと同じ「幸せを感じることができる」人間です。
 ただ、人よりも「安心できる場所」がなかった分、人よりも先に「自分で安心できる場所を作る」ことに挑戦しているにすぎません。
 精神病は「自分に厳しすぎる人間がなる病気」です。だから、自分よりも人の方が大切であるという「自己犠牲的な愛情」を注いでしまいます。
 その中でも「自己犠牲愛」は「相手のことを強く思っている」ことに対して「相手が愛してくれていることにほとんど気づくことができない」状態です。
 症状がひどい時は「自分が悪い」ときめつけてしまい、自分を責めるあまりに「自傷行為」をします。
 そして、「愛される期間」が長くなると「自分は愛されていない」と感じて「自分を大切に思ってくれている人から離れよう」と行動します。
 これが精神病の人が周りから受け入れられない理由なのではないでしょうか?
 周りも一生懸命頑張っています。できることを精一杯やっているにもかかわらず、精神病の人は大切に思ってくれている人のことを認められないのです。
 「自己犠牲愛」は「人を愛することはできても人の愛にきづいてあげられない」状態です。
 私は「自己犠牲愛」に「幸せは感じられない」と思っています。
 人を幸せにすることばかり考え、自分が幸せになる方法を知らないのですから、あたり前なのではないでしょうか?
 もし、貴方様が「相手に○○してくれない」と言えるならば、それは素晴らしいことだと私は思います。自分で何をすればいいのかわかるのですから。
 私から言わせてもらうと「自己犠牲愛とは自分が幸せになる方法を知らない結果」だと私は考えます。
 幸せになる方法なんてみんな最初から知りません。
 知っているのは、ほんの一部の人達だけです。もちろん全員がしっているわけではありません。
 「幸せを感じれない人」は「幸せを感じれる人の真似」をすることから始めるべきです。
 精神病になっても、「どうやって幸せになるの?」と人に聞いたり、ネットで検索したり、できるタイミングはあるはずです。
 私は皆さんに聞きたいです。幸せを感じる方法を知っていますか?
 自分なりに答えのある方はすでに「幸せ」と思っているはずです。すでに体験しているのですから、当たり前だと思います。
 私個人の考える正しい答えは「自分の思っていること」だと思います。
 これまで記載してきたことは「私の妄想」です。私の考える「幸せ」でしかありません。ただ、否定することは誰にでもできます。
 私は行動してみて「違う」と思っている方の意見をしりたいです。
 なぜなら、「自分にしらないことを知る」ヒントがそこに隠されているからです。
 知らないことが恥ずかしいと思っていませんか?私はわからないことは年下とか年上とか関係なく、助けを求めます。
 知らないことは知らないままなのです。私は知らないままにすることの方が嫌です。
 なぜなら、知らないままでいるからこそ、同じことを繰り返すということを知っているからです。
 そうすると、苦しいことを何度も繰り返して感じるのです。
 やり方を知っていれば、行動方法は変えられます。私は同じ苦しみを何度も感じたくないだけなのです。
 だから、できる人の真似をして少しでも同じことを繰り返さない方法を探します。
 人はなぜできるのかわからない人もいます。よくわからないけどできる、そういう人を私は天才だと思います。
 私は天才ではないので、自分にあったやり方を探します。
 私の考える「幸せを感じる方法」は1つです。
 
<私の考える幸せを感じる方法>
①不安(気になること)を題材にして予習する(自分が何をしたいのか、そしてどのように行動するのかを具体的に考える)
⇒②行動する(予習で考えた行動を実行する)
⇒③課題を見つける(できない頃の自分と体験した今の自分の自分とのメリットとデメリットを知る)
⇒④課題があればもう一度挑戦する

 これが自然と身につけば、必ず「幸せを感じる」と私は信じています。
 もちろん、信じていただく必要はありません。「私の妄想」なのですから。
 この方法で私が学んだことは、「人を愛する喜び」「愛されている実感」「周りから大切にしてもらえる喜び」などなど、たくさんのことを学びました。

 最初の頃は「何をしたいのか?」がわかりませんでした。今、わからないということは「一生わからない」ということを人から教わりました。
 私は「なんで未来をきめつけるの?」と「相手が上から目線」のように強く感じましたが、私も答えがわからないのでその人を信じることにしました。
 その方を信じるために、私は「何でもいいからやってみよう」から始めました。
 周りのアドバイスから「何が気になるのか?」を「自分のしたいこと」と定義することから始めました。
 次に「どうすればいいのかわからない」ということをわかっていませんでした。
 私の場合は何もわかりませんでした、いうなれば「無」です。
 ここで学んだことは「わからないことは考えてもわからない」ということを学びました。
 次に「自分で考えてもわからない」ので、人に相談しました。質問方法は「○○(気になること)はどうやってできるの?」と聞きました。
 私はその方法をひたすら真似しました。その結果、「できる人はできること、できない人は逆に質問される」ということを学びました。
 最初は質問されることが嫌でした。その理由はわからないから質問しているからです。
 次に「やり方を教わる」と実践してみました。「やる気がでない」時は休み、「やる気がでる」時は自分で実践してみました。
 やってみても、何か違うことがわかりました。でも、やり方はわかりました。
 「気になること(嫌なこと)」をどんどん減らしました。ここでいう減らすというのは「自分でできた」と思えるようになったからです。
 すると「気になることが自分のやりたいこと」であることに気づきました。
 その理由は「気になること」がなくなると、「気になることが変わる」からです。
 私は嫌なことをすることは嫌だけど、終われば楽になるということに気付きました。
 だったら、「気になることは忘れる前にやろう」と思うようになりました。
 「気になることは楽になる素」であることを学びました。
 そして、私は「気になること」をやっているだけなのに、周りから褒められるようになりました。
 後々、その正体が「自分に余裕がなかっただけ」であることに気付きました。
 でも、私は自分に余裕がないからこそ、「人に甘える(人に迷惑をかけていたことに気付いた)」ことを学べました。
 そして、「気になることを減らす」ことにより、「人に頼る」ことができるようになりました。
 すると、「人を信じる」ことができるようになっていたのです。もちろん、「私自身は人を信じている」つもりでした。しかし、それは私が周りを信じていることに気づいているだけであって、「周りが私を信じてくれていることに私が気付いていない」ことがわかったのです。

 気付いていない理由は「無知である自分を知らなかったから」でした。
 私は周りのことを「わかってあげられていなかった」ことに気づいたのです。
 それにもかかわらず、そんな私を周りが許してくれていたことに気付きました。
 私は「私を大切に思ってくれている人に感謝」のあまりに「涙」がでました。生まれて初めて「人の温かさ」を感じることができました。
 これが「自分が精神的に子供であったと受け入れたと同時に愛されている」ということだったんだと感じました。
 私の考える「精神的に子供である」とは「無知である自分を知る」ということです。
 「自分が無知である」ということに気づくためには「できない時の自分とできるようになった自分を知る」ことだと私は思っています。
 できるようになった自分ができなかった自分を見るようになった時、自分が「無知であった」ことを知れるのではないでしょうか?
 「精神的に大人」になっても、「無知」であることにはかわりありません。
 人は知らないことの方が多いのが「当たり前」です。だから、自分から「わからない、教えていただけませんか?」というのが当たり前です。
 なぜなら、その人が何ができて何ができないのかわからないからです。
 そのためには「自分が何ができて何ができないのか?」を知る必要があります。
 知るためには「自分で行動する」以外ありません。だから、私は精神病を治すために「自分で行動する」こと、そして成功体験(できるようになった自分)をたくさん増やす必要があると思い、私は行動することを推奨しています。
 「わからないことを知る」ためには「過去の体験を思い出す」しかありません。
 しかし、一度体験したとしても、今の自分がやれるかどうかわからなければ、それは「今の自分はできない」可能性があるのです。
私はこれを「できない」というように心がけています。
 私は「自分のできること」に目を配るようにしています。その理由は「自分が自信を持てることを把握するため」です。
 そして、人に対しても「人のできること」に目を配るようにしています。その理由は「その人と感動を作るため」です。
 すると、いつのまにか人の嫌なことが気にならなくなり、「人が大好きになれる」ことを知りました。
 人は生まれながらにして「無知」です。「無知な人」は「恐怖の素」です。
 子供は「かわいい」ものの、「恐怖の素」でもあるのです。「恐怖の素」である理由は「何をするか予測できない」からです。
 子供は「思いを伝える前に行動する」生き物です。しかし、それは親にとって「危険があるからもしれない」という「心配」を生み出します。
 そこで、親は「子供の安全」と「自分の不安を失くす」ために「教える」立場なのです。
 「教える」方法は「自分で行動する」、「一緒に行動する」、「子供1人で行動する」です。
 そして、親は「苦しい」と感じても、子供のためには「不安」を我慢しなければなりません。
 「苦しい」時は親も人間ですから自分に余裕がないため、「子供にあたる」こともあるでしょう。
 その時の子供は「親に嫌われている」と思い、「無知」なりに一生懸命頑張ります。
 しかし、「頑張る」だけでは「できるようになる」ことはできません。
 自分にあった「できる方法」を見つけないといけないのです。
 そして、子供は時に自分でみつけ、時に親に教わり、時に周りの大人から教わり、成長します。
 だから、「今当たり前にできることがある」ということを子供も忘れてはいけません。
 それは間違いなく、「自分が頑張ってできるようになった証拠」なのですから。
 親は親なりにですが、諦めないで一緒にむきあってくれているのです。
 「一緒にいてくれる」だけで、親は「子供を愛している」といえるのではないでしょうか?
 もちろん、親が不器用すぎて足りないと言う方もいると思います。しかし、貴方様自身は「自分で自分を守り、子供も守る」ことができますか?
 想像以上に難しいものです。「たりない」と言う方はほとんどの方が「自分で自分を守る」ことすらできないのです。
 もちろん、その原因は親や周りの大人の責任です。その人達が幸せになる力が弱いから、「たりない」と感じるのですから。
 私が言えることは「力のない親や大人しか周りにいないと見切りをつけて自分で探せばいい」です。
 その理由は「自分なりに頑張っている人間を否定しても、その人達もこれ以上何もできない」のですから。
 
 精神病は「自分が幸せになる」ことに対して「無知」です。悔しくても、それが私の体験でした。もちろん、違う人もいるかもしれません。
 かわいそうな人間だと周りから思われれば、その人はかわいそうな人なんだと自分で思ってしまいます。
 自分のことを自分でかわいそうと思う子供は「精神病」になります。
 周りと比べて自分はかわいそうと思えば、自分がかわいそうな子になります。
 そのような子は周りから「かわいそうと思ってほしい」と願ってしまう大人になります。
 子供の頃は「感動」のようなポジティブな感情よりも、「恐怖」「不安」「怒り」「悲しみ」などのネガティブな感情が気になります。だから、「嬉しい」をたくさん作ろうとします。
 親が子供と一緒に活動的になればなるほど、子供は親と同じように自分一人でも活動的になるのです。
 「恐怖」「不安」「怒り」「悲しみ」がない状態を「安心」といいます。
 ここで、親の役割は子供に「恐怖」「不安」「怒り」「悲しみ」という感情をなるべく小さくする手助けし、子供が自分で「嬉しい」と感じることをたくさん作れる環境を整えることにあります。
 子供は「初めて行動すること」があると、「恐怖」を感じて「親」を捜します。 
 子供にとっての親とは「安全場所」なのです。これは親が死んでも、自分が死ぬまで同じです。
 もちろん、親がつまらない人間であれば、「親代わり」を探すようになります。
 もともと結婚するまでは親に対して「つまらない(自分をわかってくれない)人間」と子供は思うことが多いので、本当に駄目な親かどうか判断できません。
 ただ、共通して言えることは、子供は「安全場所(自分の居場所)」を探します。
 大人になって「安全場所」を探すことを「恋」というと私は思っています。
 しかし、「恋」は「小さい頃に親から大切にしてもらえている」という感覚と同じです。
 すなわち、相手の悪い所に目をむけず、相手の良い所ばかり目がいくということです。
 「恋」とは「甘え」です。でも、いいかえれば、「愛し合うための始まりのきっかけを作る大切なこと」です。
 「自分は愛している」と思い込んでしまいますが、実際は「愛されていると感じる自分が嬉しい」だけだったということに後々感じるようになるのかもしれません。
 「相手を愛する」というのは「相手の長所だけでなく、短所も含めて愛する」ということです。
 「恋」は「相手の短所に腹を立てて我慢している」状態です。
 むしろ、相手に対して「自分の気持ちを伝える人」は「愛する努力をしている」といっても過言ではないでしょう。
 「相手に自分の気持ちを伝える」ということは「相手を許す方法を見つけ出そうとしている」と私は考えています。
 逆に何も言わなさ過ぎる人は「自分が嫌われたくない」と思い込んでいるだけにすぎません。
 一見、ポジティブになれるような感覚になりますが、それは良い所に目を向けているからです。
 付き合い始めると、「慣れ」という名の「安心」により、「相手の悪い所」に目を向け始めます。 
 大切なことは、この時に「100%愛してくれているのは○○だけだ、でも自分は愛されることを苦しいと感じていただけだったんだ」と気づくことです。
 親とは「子供の安心場所を作る」存在です。
 しかし、夫婦は「自分達の安心場所を一緒に作る」存在です。
 「夫婦」と「親」は「役割」が違うことを私達は、忘れては絶対にいけないと思います。
 立場が違うからこそ、結婚する理由は「自分の安心場所を作る」ではなく、「自分達の安心場所を一緒に作る」ことを意識することが大切だと私は思います。
 もちろん、えらそうなこと言っている私は結婚してから意識するようになりました。
 大切なことは「気づく」ことであり、私の場合は体験することにより「気づく」ことができました。

 私個人は「安心場所がある」ことを「幸せ」というのではないかと思っています。
 すべてはそこから始まるのです。どんなストーリーの人生を作るかどうかはすべて自分次第です。
 人生とは自分が主人公であり、自分で自分の好きなように作ることができます。
 しかし、困難があります。それが社会です。社会のデメリットは自分の好きなようにできない制限があるということです。

 ここでいう制限は法律と言う名のルールであり、これはみんなが平等に幸せを作るための最低限のルールでもあります。

 「自由」とは「自分で考えて行動する」こと以外何者でもありません。
 私個人は「感動」を感じるために頑張っています。そして、「愛される喜び」を感じるからこそ、「愛する」行動を頑張りたいと思えていると思っています。

 しかし、「与えてもらう」ことは「自由の制限」でもあります。「与える」は「自由」ですが、「与えてもらう」のは「相手にできること」だけなのです。
 もちろん、「恋」は「お互いに愛しあう」ことにより「愛情」へと変わって、親がいなくても生きていけます。
 そして、「自分の安全場所を作りたい」という願望こそが「家族を作りたい」という気持ちなのかもしれないと今の私は思います。

 「安心できる場所」があるから、子供は「現実に目を向けることができる」のです。
 「いい人」は「精神的に自立できていない人」が多く、「自分のことは自分で行動する」ことが当たり前にもかかわらず、次第に「相手がやってくれない」と感じることが多くなります。
 自分で行動しなくて当たり前の人間になることが多いです。
 自分で行動しない人を「甘えている人」と多くの人はいいます。
 間違えではありませんが、私個人は「これから自分で行動するために頑張ろうと思っている人」と表現しています。
 ただ、「思い」はとても大切なことではありますが、「思い」だけでは何も変わりません。
 「思い」は「自分の目標の素」であるだけなのです。でも、同時に「周りのやる気を引き出す素」でもあります。
 大切なことは「行動する」ということです。「愛する」とは「愛のある行動をする」ということです。
 「精神病」になると「行動」することが困難になります。これは「行動できる」と他人から認めてもらわなければ「行動できない」のです。
 しかし、必要なことは「認めるという言葉」ではありません。 
 必要なことは「相手を大切に思う気持ちと行動」です。
 ぎゅっとだきしめたり、キスしたり、ほめたり、一緒に喜んだり、一緒にわらったり、そうした楽しいことを一緒にすることが「生きる希望(誰かのために生きたい)」を生み出し、「やる気」が生み出されます。
 言うなれば、「誰かのために生きたい」という気持ちこそが、「やる気の素」なのです。
 そして、もっと感じたいと願うからこそ、「人に甘える(人を信じる)」ことができるようになるのはないでしょうか?
 
 今の私は妻と「感動を作りたい」と願い、家族を作りました。それはごくありふれた「家族を作る」ためです。
 妻は私にとって、「パートナー」であり、「一心同体の存在」です。
 私は妻と一緒に「自分達の幸せ物語」という名の「感動」をたくさん作って、「人生満足できた」とふりかえって、自分の人生をハッピーエンドで迎えたいと思っています。
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質問があるのですが…。

初めまして、愛望(まなみ)といいます。

質問なのですが…。

私は数年前から精神科に通っています。
通って数年なのに、自分の病名も知りません。
一応、障害者手帳の二級をもっています。
病名とか、病院の先生にきいたほうがいいのでしょうか?
それとも、病名がないのでしょうか?
教えてもらえると、助かります!



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コメントありがとうございます。
一度、ブログを拝見させていただきます。

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Author:よっし~2
 精神病の彼女と僕が精神病を乗り越えて結婚までを描いた日常を「ドラマ」に記載しております。今では彼女から妻へ変わり、さらに病状は日々改善しております。
 その際、介護側である私が思いついたことや、病気の紹介などを「治療方法」に記載しております。
  2013年2月より「精神病の彼女と僕 ~私と彼女が幸せを掴むために~」が「まぐまぐメルマガ」でデビューすることになりました。
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